2009年6月22日月曜日
20090529
■映画の授業 Leçon de Cinéma 現代映画篇
■『ヨーロッパ2005年、10月27日』(ジャン=マリー・ストローブ ダニエル・ユイレ、2005)
■『アルテミスの膝』(ジャン=マリー・ストローブ ダニエル・ユイレ、2007)
■『ジャン・ブリカールの道程』(ジャン=マリー・ストローブ ダニエル・ユイレ、2008)
20090526
■メイド・イン・カッシーナ展
見ていてまったく飽きないどころか、実にさまざまな感覚領域を刺激される。立体って本当に面白い。それがいかに神々の手によるものとはいえ、椅子という具体が作り手によってその数だけ趣きや洗練といった豊かな輪郭や小宇宙を獲得/形成してゆくことの当然とも思える不思議さというか。そして何よりもこんなにも自由になれるものなのかと、その発想の縦横無尽で伸縮自在な跳躍力と、確固とした実体として僕の眼前にあっけなく存在してしまっている現実、そしてこのような現実もその出生証明書たる設計図からすべては始まったのだという素朴な事実に胸を打たれる(走り書きのメモのようなデッサンが完成品のすぐ側に展示されていたりするのだ)。しかし同時にある考えも脳裏を過ぎる。つまり僕はもしかしておそろしくつまらない「椅子」を作ろうとしているのではあるまいかと。これは一体なんなのだろうと目を疑うような驚きとともに激しく撃たれ、魅了される。しかしそれはまぎれもなく椅子としか名指しようのないものでもある……。この「矛盾」が凄絶に拮抗するということ。いや、凄絶に拮抗する地点から立ち上がってくるなにものかを通してしか、人はそれを「椅子」と呼び得ず、ぼくの映画もまたそこへ向かわなければならないのではないか。かようにとりとめや根拠を欠いた確信めいた考えに触れ続ける場として、すくなくともぼくとこの展示会との関係はあった。しかしけっして広すぎるとは言えないスペースに置かれた数々の作家の知恵と技術の収斂を目に焼き付けるには、2時間はあまりにも短かすぎた。次回もぜひ駆けつけたい。それにつけてもスーパーレジェーラの可愛さよ。
2009年6月21日日曜日
20090522
2009年6月1日月曜日
20090513
20090501
■『グラン・トリノ』(クリント・イーストウッド、2008)
タオを床屋に連れて行くくだりからもう抗しきれずに号泣。『チェンジリング』同様なぜこのような傑作を次々と、何よりほんとうに軽々と撮ってしまえるのだろうか。日常的に巡回するいくつかのブログをあたってなるほどと思わされることが多かったが、個人的には井川さんの分析が一番しっくりきた。つまりそれは作劇に必要不可欠な「トライアングル」をめぐる話なのだが、もしかするとそれはいま自分が一番必要としている事柄のひとつだからかもしれない。この「トライアングル」が何なのかについては興味がある方それぞれが井川さんに直接聞くしか手はないのだが……。そういえば、タオの就職先の面倒を見るために事務所へ向かって2人が歩いているときに奥の白い建物が「十字架」に見えてしまうあたり、本作/作家の無意識的な凄みを感じる。
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