2009年6月1日月曜日

20090501


■『グラン・トリノ』(クリント・イーストウッド、2008)
タオを床屋に連れて行くくだりからもう抗しきれずに号泣。『チェンジリング』同様なぜこのような傑作を次々と、何よりほんとうに軽々と撮ってしまえるのだろうか。日常的に巡回するいくつかのブログをあたってなるほどと思わされることが多かったが、個人的には井川さんの分析が一番しっくりきた。つまりそれは作劇に必要不可欠な「トライアングル」をめぐる話なのだが、もしかするとそれはいま自分が一番必要としている事柄のひとつだからかもしれない。この「トライアングル」が何なのかについては興味がある方それぞれが井川さんに直接聞くしか手はないのだが……。そういえば、タオの就職先の面倒を見るために事務所へ向かって2人が歩いているときに奥の白い建物が「十字架」に見えてしまうあたり、本作/作家の無意識的な凄みを感じる。

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