2009年7月27日月曜日

20090725

■『Om Shanti Om』(ファラ・カーン、2007)
7月14日にギックリ腰を再々発させる。3度目は何としても回避せねばと固く誓いを立てる程度には十二分に激痛を満喫した十数ヶ月前であったはずなのだけれど(よく言われるように、あまりにも痛すぎて寝返りが打てないのだ。また、稀に不運が重なり横になった状態で痛みのスイッチが入ることがあるが、漏れなく発狂する)、ここ2週間ほどは定時までの仕事の後美学校に移動して終電まで編集作業を行わなければならない如何ともし難い流れが半ば出来上がってしまっており(〆切の為)、日課のストレッチもままならなかったのでますます腰にストレスが溜まっていってしまったのだろう。当日は午後からみるみる容態(腰態)が悪化してゆくのが手に取るようで、21時すぎには痛みでまともに立って歩くことが困難になってしまっていた、まだ美学校なのに。

心配なのは今回はその契機となるものがいまいち判然としないことで、過去2回はいずれも「ブチッ」という軽快にして最悪を告げる悪魔のテープカットのような忌まわしい音がしたもの
けど、今回はそれすらなく、ただじわじわと疲れとも痛みともつかぬなにものかが腰周辺部に滲み出し、曰く言い難い倦怠感とそれが生み出す呼吸の微細な荒れとの戯れがあるのみなのだ。ある意味ではより巧妙悪質になってきている。いずれにせよその前段階の兆候を突き止められない現状は極めて僕を不安にさせる。とりあえず備忘録として腰痛治療ナビ腰痛口コミバンクを。もし腰痛の根治に関してなにか良い情報をお持ちの方は教えてくれると僕がすこぶる喜びます。とりあえず今晩は口コミバンクで見つけた鍼灸に行ってみるつもり。

※追記:腰痛持ちは靴を疑え正しいozn

そんな訳で今回もまるまる1週間ちょっともの間、それも〆切直前という大変貴重な時間を寝たきりによって無為に過ごす羽目になった。経験者の大工原さんや何人かの友人からもありがたいメールをいただき励みとしてきたが、痛みで気が散ってしまって企画を考えるどころではなかった。無論考えなければという焦燥感は常に脳裏に貼り付いていたので、あるいはそのことが返って回復を遅らせてしまったのかもしれない。いずれにせよまともに考えられるようになったのは22日からで、あと2日でどうしろというのかという話だが、それは単にそれまでにシナリオを練り上げ切れなかった自分が悪いので、黙々と書くだけだった。我ながら不誠実に映画と向き合ってるよな……と恥じ入りながら、しかし書くしかなかったのである。

そういったやや重苦しい個人的な経緯もあったので、25日の友人たちからの誘いにはなんだか救われた気がした。無論依然として痛みはあり、コルセット無しでは歩けないような情け無い状態だが、リハビリも兼ねていつものように友人宅に集合し、4月に引き続き今回もカレーを作ってみんなでワイワイ酒を飲みながら食べる、というただそれだけのありきたりで凡庸な途方も無い幸福(実際幸福な知らせも聞けた。おめでとう!)。そんな中で見たのがT嬢が持って来た本作だ。MGMミュージカルを彷彿とさせる(事実、『雨に唄えば』に酷似したシーンもある)
躁病的なダンスが、悲喜劇とメタシネマが、というミュージカル映画の王道が、その王道に恥じない蕩尽を惜しまぬマッシヴでゴージャスな巨大な映画の娯楽の塊となって、大手を振るってこの中野の1ルームを3時間だけ悪夢のように美しい極彩色に塗り変え、そして駆け抜けていった。

作品の背景や解説については不案内な僕ではなくこちらを参照していただくとして、個人的にもミュージカルシーンはもちろんのこと、監督がある効果を期待して使用した
であろう細やかなCGの使い方や画面設計も実に的確で、やりたいことが正確に演出され、正しくキャメラに収められていることの心地よさと、監督をはじめスタッフやキャストたちの創造へ向かう強靭で喜びに満ち溢れた巨大な意志とがうねりとなってこちら側に迫り出してくるようで、見ているだけで本当に幸福な気持ちになる。しかし、3時間という上映時間が興行上のネックの一因になっているだろうことは想像に難くないとしても、正統な血統の末裔として真に映画的な本作のような作品がわが国において多くの人の目に触れ得ない現状というのは正しく損失以外のなにものでもないのではないか。映画とは、これほどまでに豊かなのである。最後に、本作を見たものの義務としてアンナ・カリーナ多岐川裕美を合わせたような主演女優のディーピカ・パドゥコーネ嬢の垢抜けっぷりが尋常ではない、ということは伝えなければならないだろう、ゼロ年代(!)にこのような映画がまだ創造され続けていることに心から敬意を表しながら。必見!




2009年7月9日木曜日

20090706


■『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(庵野秀明、2009)
完成度で言えば旧作を踏襲しつつもさらに観客のイマジネーションを越えるようなポテンシャルをもったスペクタクルをクライマックスで正攻法で見せきった「序」の方が洗練においても高いように思える。それに比べると「破」の後半の戦闘におけるいくつかのスペクタクルは、あくまでも旧作の踏襲、変奏にとどまり、表現として過去のイメージを大胆に越えるほどの振り切れた描写には成り得ていないのではないか。

また輪をかけて台詞回しがどれもこれも本当に耳を覆いたくなるような大味で平板な酷いもので、監督は映像に比べると台詞にはあまり興味がないのかもしれないが、時代遅れな上に稚拙で退屈なやり取り(説明と説教)が延々と続いてゆくので正直辟易してしまった。表現したいクリシェや言い回しが先行してしまっているのか、必ずしもキャラクターに寄り添って書かれたようには感じられない箇所が散見され、どうしても上っ面で茶番じみたものになってしまってドラマが動かずに停滞してしまっている。個々の抱える設定も文字通り設定にしかなっておらず、フィクションとして深刻に立ち上がってこないのだ。


しかし、にもかかわらず、非洗練で混乱したこの「破」に僕は感動してしまった。ヒリヒリするような、もはや格好などつけていられないような、作家・庵野の生理から発せられたピュアで切実なエモーションが、綾波とシンジのあの最後のシーンを描写から表現へと高め得たように感じられたからかもしれない。アルトマンに倣うなら「自らのバイパスを作」ったということになるだろうか。そしてまたこのシーンは、
「破」が、その端正で折り目正しく作られた傑作「序」やそれまでの彼の輝かしいフィルモグラフィを荒々しく動物的に乗り越えてゆく決定的な瞬間でもあったように思う。いずれにせよ必見の問題作であることに変わりはない。

以下は個人的な雑感。

「時計の使途」のシークエンスでの空間の把握の仕方―画面の奥行きや高さの持たせ方―に惹かれた。 他にも特報でも見られるが、アスカが寝返りをうつ時のわざと目には外光を当てない照明の感じとか(照明じゃないけど)、誰も指摘しないけど『太陽を盗んだ男』のスコア
(ちょっとグッときた)が流れる実景の物撮りの感じとか(実景は軒並み素晴らしかった。だから実景じゃないけど)素直に良いなあと。これらは庵野が実写を経由したことによる影響なのか以前から持ち合わせていた資質なのかはファンではないから分からないけど。あとウォークマンだ。あの小道具は最強だろう。戦闘シーンについては今更言うまでもないだろうから割愛。 客層は若い男女がとても多かった。社会現象を起こすような国民的な作品だからあらゆる意味で当然なんだけど、 それにしてもあそこまで若い観客を劇場によべるのを単純にうらやましく思った。

20090628


「R18 LOVE CINEMA SHOWCASE VOL.6『あんにょん由美香』公開記念・林由美香×松江哲明特集上映」
■『たまもの』(いまおかしんじ、2004)
■『スッチー菜々子の玉の輿大作戦!』(加藤義一、2002)

20090620

H&M

2009年7月8日水曜日

20090619


西山洋市Presents! 役に立つ山中貞雄
■『人情紙風船』(山中貞雄、1937)

20090618


白夜映画祭 III ~コメディ&メロドラマ~ 恋と革命
■『青い青い海』(ボリス・バルネット、1935)

20090615


白夜映画祭 III ~コメディ&メロドラマ~ 恋と革命
■『騎手物語』(ボリス・バルネット、1940)

20090612


西山洋市Presents! 役に立つ山中貞雄
■『河内山宗俊』(山中貞雄、1936)
前回に続いてKMT君のご好意でタダで入場させていただく。申し訳ないので新文芸座のタダ券を差し上げる。鑑賞後、アテネの西山特集でも一緒だった初等科のHND君と新宿駅にて1時間以上話し込む。

20090607


CO2 in TOKYO ’09
■こんなに暗い夜(小出豊、2009)

20090606


ルーブル美術館展 17世紀絵画
その後渋谷に移動して飲む。目当ての場所が満席で入れず。次回は必ず。

20090605


西山洋市Presents! 役に立つ山中貞雄
■『丹下左膳餘話 百萬両の壺』(山中貞雄、1935)

わが生涯の作家であるので当然駆けつける。と言いながらKMT君にタダで入れてもらう。ありがとうございます。もうリンク先に書かれてある西山さんの解説を読むだけで泣けてくる。あとで何か書こう。

20090603


映画の授業 Leçon de Cinéma 現代映画篇
■『INAZUMA 稲妻』(西山洋市、2005)
■『死なば諸共』(西山洋市、2006)

■『吸血鬼ハンターの逆襲』(西山洋市、2008)
『吸血鬼ハンターの逆襲』に痺れまくる。映画がこんなにも面白くていいのだろうかというくらい何もかもが面白い。ドライヤーの『吸血鬼』を、ムルナウの『ノスフェラトゥ』を纏いながら、広げた大風呂敷を矮小化することなくキチンを纏め上げる抜群の手腕にはもう唸るしかない。そして自立的に要請された正義が、やがて狂気に絡め取られて自走してゆく…。ああもう最高だ。しかし後日、『INAZUMA 稲妻』の面白さが分かっていないと大工原さんに生徒みんながダメだなあと呆れられる。曰く、あんなに見ている間中鳥肌が立ちっぱなしだった映画なんてここ何年もなかったと。女優と傷、復讐、とすべてのモティーフがツボだし、それらを十全に演出し、見せきることができる高い技術も西山監督自身には備わっている、等々。『INAZUMA 稲妻』が何かの偶然で誰にでも撮られてしまうような種類の映画からはもっとも遠く離れた存在であることくらいは僕にでも分かる。つまらなかったわけでも決してない。しかし、鳥肌が立つような、心の底から動揺させられ瑕を付けられるような感動を覚えたかというと……。ええ、精進しますとも。